"私達の国籍は 天にあり"フィリピ3:20

 親愛なる皆さん、この聖書箇所に基づいて、群馬東ブロック「伊勢崎、桐生、大間々、館林、太田教会」で 9月20日に 桐生フランシスコ修道院で野外ミサが行われます。皆さんが参加することができれば、私たち東ブロックの共同体が普遍の教会であるということを実感することが出来るでしょう。ご協力お願い致します。

 さて、信徒の皆さんには 継続的な養成が必要なので、今回は 教会の社会的教えを勉強しましょう。

教会の社会的教え

[2419...教会は人間の真理に関する完全な啓示を福音からくみ取ります。教会は福音を のべ伝えるという自分の使命を果たすとき、キリストの代理者として、人間には固有の 尊厳が与えられており,自分たちは人間同士の交わりに召されているのだということを説明し、神の英知にかなった正義と平和を実現するためには何をなすべきなのかを教えます。

2420 教会は,「人間の基本的権利や霊魂の救いが要求するときには」、経済的・社会的問題に関する倫理的判断を下します。教会は倫理の領域において、公権のそれとは異なる使命を持っています。教会は、地上的共通善はわたしたちの究極目的である最高善に向けられているものなので、そのための配慮をします。教会は、この世の善益に対して、また社会的・経済的関係において、正しい態度を取るようにとわたしたちを励まし続けています。

2421 教会の社会的教えが発展したのは19世紀です。そのとき福音は、近代工業社会、消費材生産を目指す新しい社会構造、社会・国家・権威についての新しい考え方、新しい労働や所有の形態と直面するようになりました。経済・社会問題に関する教会の教えの発展は、教会の教えの恒久的な価値と同時に、つねに生きており活力に満ちた聖伝の真の意味を示すものです。

2422 教会の社会的教えは、教会が聖霊の助けのもとに、歴史的な出来事をキリスト・イエスによって啓示されたことばの全体と照合しながら解釈する度合いに応じて、体系化されていきます。この教えは、信者がそれに従いたいと思うものであればあるほど、善意の人々に受け入れやすいものとなます。

2423 教会の社会的教えは反省するための原理を提示し、判断基準を明らかにし、行動するための指針を与ます。 社会的関係を経済的要因によってのみ決定するような体制はすべて、本来の人間ならびにその行為とは相対立するものです。

2424 利潤を経済活動の唯一の規範、究極の目的とする理論は倫理的に容認できません。過度の金銭欲は不正な結果を生み出さずにはおきません。それは社会秩序を乱す多くの紛争を引き起こす原因の一つです。

「生産の集団組織を個人と団体の基本的権利に優先させる」体制は、人間の尊厳とは相対立するものです。人々をまったくの生産手段にしてしまうあらゆる行為は、人間を奴隷化し、拝金主義に導き、無神論の拡大に貢献します。イエスは、「あなは、神と富とに仕えることはできない」(マタイ6・24、ルカ16・13)といっておられます。

 2425 教会は、現代において「共産主義」ないし「社会主義」と結びついた、全体主義的、無神論的イデオロギーを排斥しました。さらに、「資本主義」構造の中で 個人主義と、人間の労働に対する市場法則至上主義とを排斥しました。中央集権的な計画経済は、社会の成員たちを結ぶ諸関係を根本的に歪曲させるものです。他方、市場法則のみによる経済操作も社会正義に反します。というのは、「市場に位置づけられない人間的必要もたくさんある」からです。正しい価値体系に基づき、共通善を目指して、市場を妥当に操作しながら経済的発意を奨励しなければなりません。]

ペドロ神父 2015年8月24日 聖バルトロマイ使徒の祝日