「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び」 詩編133,1

6月12日、第二金曜日に イエスの 聖心の 祭日なので、この教会は 特別な意義があります。なぜかというとこの教会は イエスの聖心に 捧げられたからです。おめでとうございます。さて、今回、信徒の交わりに関して 深めたいと思います。そもそも カトリックの教理を掘り下げて、信徒の交わりについて学びましょう。番号 106-107は カトリック教会の  カテキズムのまとめ「ドンボスコ社]から 24はカトリック教会の青年向け カテキズムから引用しています。テーマは聖徒の交わりを信じるということです。
   
106. 「聖徒の交わり」とはどのようなことですか。「聖徒の交わり」はまず、①「聖なるもの」との交流という意味で、とくにキリストの聖体(エウカリステア)との一致をあらわします。キリストの神秘体をつくる信者は、ミサによってすべての信者と一致することができます。つぎに、②「聖なる人びと」との交わりも  あらわします。これは、一人ひとりの信者がキリストのうちに、キリストのために、行い、あるいは耐え忍んで得た 功徳をすべての人と分け合うことです。   

107. 聖徒の交わりはこの世にいる人のあいだだけで行われるのですか。生きている信者も亡くなった信者も、皆、キリストにおいて交流していることをわたしたちは信じます。したがってこの世を旅している信者のほかに、罪のつぐないと清めを 果たしつつある死者も、すでに天国に入った幸いな人びとも、この交わりに 加わっていると信じます。これらすべての信者は一つの教会をつくっています。 この交わりによっていつくしみ深い神と 聖人たちは、絶えずわたしたちの祈りを聞いていてくださいます。                

24. わたしの信仰は、教会共同体と どんなかかわりが」あるの?信仰は、人間にとってもっとも 個人的なものですが、単なる私的なものではありません。信じたいと思う人は だれでも、「わたしは」と「わたしたちは」の両方を言える必要が あります。なぜなら、あなたが 分かち合ったり伝えたりできない信仰は、理に かなわないものだからです。個々の信仰者は、教会が言う「わたしたちは信じます」に自由に同意します。教会から、信仰を受け取るのです。教会こそ、諸世紀にわたり信仰を伝達してその人に伝え、歪曲から守り、何度も輝き放つようにさせた 存在でした。だから、信じるということは、共通した確信を共有することなのです... 
                                 
信仰の賜物と聖徒の交わりが あるかを発見したら、どんなに幸いでしょう。伊勢崎教会は 多国籍教会として 日本に住みながら 気の利いた共同体の意識を身に付ける必要があります。教会は クラブではないので、他人に 福音を伝えることは 恒久的な側面です。言うまでもなく、兄弟の短所を受け入れるのに 福音に反対する計る秤から自分自身を空っぽにすれば、努力、祈り、愛が伴います。十字架を身近にしましょう。垂直の面は 神様への方向を指し示します。つまり、私達の降服は 神様へです。 十字架の横の面は 人間への方向を指し示します・[目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができません 一ヨハネ4,20].

ペドロ神父 2015年5月22日 カシアの聖リタ記念日