2015年「世界平和の日」教皇メッセージ

「もはや奴隷としてではなく、兄弟姉妹として」

1. わたしたちは、神の全人類への恵み豊かな贈り物として新しい年を迎えます。新年の初めにあたり、わたしは、すべての人々、世界のあらゆる民族と国家、政府首脳、諸宗教の指導者に平和への切なる願いを伝えます。そして、戦争、紛争、さらには人間が引き起こした苦しみ、昨今の伝染病や自然災害による破壊による苦しみがなくなるよう祈ります...

2 .今年のメッセージのテーマは、聖パウロのフィレモンへの手紙から引用しました。使徒 パウロは、かつてはフィレモンの奴隷だったオネシモを受け入れるよう、彼の協力者に頼みます。パウロがいうように、オネシモはキリスト者となったので、兄弟とみなされるようになりました。異邦人の使徒であるパウロはいいます。「おそらく彼がしばらくあなたのもとから引き離されていたのは、あなたが彼をいつまでも自分のもとに置くためであったかもしれません。その場合、もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、つまり愛する兄弟としてです」(15-16)。オネシモはキリスト者になり、フィレモンの兄弟となりました。キリストへと回心し、キリストに従う者として生き始めることは、新しく生まれることです(二コリント5・17、一ペトロ1・3参照)。そこから兄弟愛が生まれます。兄弟愛は、家庭生活の根底にあるきずなであり、社会生活の基盤なのです。

創世記には、神は男と女を創造し、彼らの子孫が増えるよう祝福したと記されています(創世記1・27-28参照)。神は、産めよ、増えよというご自分の命令に従ったアダムとエバに、カインとアベルという子を授けました。ここに最初の兄弟関係が生まれます。 カインとアベルは同じ胎から生まれたので兄弟です。したがって、彼らには、神の似姿として神にかたどって造られた両親と同じ起源、本性、尊厳がありました... 悲しいことに、創世記に記されている第一の創造と、キリストにおける新たな誕生の間には罪という負の現実があります。キリストにおける新たな誕生によって、信者は「多くの兄弟の中で長子となられる」(ローマ8・29)かたの兄弟姉妹となります。罪は、人間の兄弟愛をしばしば引き裂き、わたしたちが一つの人間家族の兄弟姉妹であることの素晴らしさと気高さを傷つけ続けています。カインは、アベルのことが耐えられなかっただけでなく、嫉妬のためにアベルを殺し、最初の兄弟殺しを犯しました。「カインによるアベルの殺害は、兄弟となるという使命を根底から拒絶したことを悲惨な形で示します。二人の物語(創世記4・1-16参照)は、一致を生き、互いのことを心にかけるという、すべての人が招かれた使命を果たす困難さを明らかにします」...

 人は、神の権威的な命令の結果として、御父の子でありキリストの兄弟姉妹であるキリスト者になるのではありません。人は、個人の自由を行使することなく、すなわち、自由な心でキリストに回心することなく、キリスト者になるのではありません。神の子であることは、いつも回心に結びついています。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪をゆるしていただきなさい」(使徒言行録2・38)。ペトロのこのことばに信仰と生活を通してこたえた人は、ユダヤ人であろうとギリシア人であろうと、奴隷であろうと自由な身分の者であろうと(一コリント12・13、ガラテヤ3・28参照)、皆、最初のキリスト教共同体の兄弟姉妹になりました(一ペトロ2・17、使徒言行録1・15-16、6・3、15・23参照)...

3. はるか昔から、人間による人間の奴隷化がさまざまな社会で行われてきました。人類の歴史の中には、奴隷制が広く受け入れられ、法で定められた時代もあります。そうした法は、だれが自由の身分となり、だれが奴隷となるかを定めていただけでなく、自由な身分の者が自由を失ったり、取り戻したりする条件も規定していました...今日、人々の意識の向上により、奴隷制は人道に反する罪とみなされ、形式上は世界中で廃止されました。奴隷として扱われない権利、強制労働を課されない権利は、国際法によって不可侵の権利としてすべての人に認められています。しかし、国際社会があらゆる形の奴隷制を終わらせるために数々の条約を採択し、その問題に対するさまざまな政策を行っているにもかかわらず、何百万もの人々、子どもやあらゆる年代の男女が、現在でも自由を奪われ、奴隷のような状態で生きるよう強いられています... わたしは、多くの移住者の生活状況にも思いを寄せます。 彼らは、苦しい旅の中で、飢えに苦しみ、自由を奪われ、所持品を取られ、身体的・性的虐待を受けています...

 わたしは、売春を強いられる人々、性奴隷とされる男女のことも考えます。彼らの多くは未成年者です。また、承諾する権利も、断る権利も認められず、強制的に結婚させられる女性、決められた結婚のために売られる女性、配偶者が死亡すればその親戚に嫁がされる女性に思いを寄せます。

 わたしは、臓器売買のため、兵士にするため、物乞いをさせるため、麻薬製造取引のような違法行為のため、偽装された国際養子縁組のために取引や密売の対象にされている子どもや大人など、すべての人々のことも考えずにはいられません...最後にわたしは、テロ組織によって拉致・監禁された人々、戦闘員として服従させられている人々、とりわけ性的な奴隷として酷使されている少女や女性のことを考えます。彼らの多くは行方不明になったり、何度も売り買いされたり、拷問されたり、からだを切断されたり、殺されたりしています。

5. 人身売買、違法な移住の取引、その他の世間に知られた奴隷状態や隠された奴隷状態のことを考えるとき、一般の人々が無関心であるという印象を 受けることが珍しくありません... 

6. 教会は「キリストの愛の真理の社会における宣言」として、人間についての真理から生じる愛のわざを行い続けます。教会には、回心への道をすべての人に示す責務があります。回心することによって、わたしたちは 隣人に対する見方を変え、一人ひとりを人間家族の兄弟姉妹として認め、 その人に本来備わっている尊厳を真理のうちに自由に認識できるように なります... 現在、大勢の兄弟姉妹の生活を苦しめている無関心のグローバル化に対処するためには、わたしたち全員が、連帯と兄弟愛のグローバル化を実現させる必要があります。そうすれば、彼らは、新たな希望を抱き、現代のさまざまな問題に直面しても新しい展望のもとに勇気をもって歩むことができるでしょう。その展望は、彼らが切り開くものであると同時に、神に よってわたしたちの手にゆだねられたものでもあるのです。バチカンにて 2014年12月8日

教皇フランシスコ 「http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/doc/peace/15peace.htm で 全てのメッセージを参照してくだい」