"アーメン,主イエスよ、来てください" ヨハネの黙示録22:20

皆さん、待降節に入りましたから、新しい年を迎えました。教会では 待降節から新しい年に入り、教会のお正月です。今回、待降節や降誕節の神秘を深く 味わいましょう。カトリック教会のカテキズムに基づいて、考えて、内容を心に留めましょう。そもそも、聖霊は キリストを迎える準備をなさいます。

524 教会は毎年、待降節の典礼を行いながら、メシアヘの待望を再現します。キリスト者は 救い主の最初の来臨に向かう長期の準備に心を合わせながら、 再臨への熱い待望を新たにするのです。先駆者の誕生と殉教を祝うことで、教会は、「あのかたは栄え、わたしは衰えねばならない」(ヨハネ3・30)というヨハネの願望を自分のものとします。

525 イエスは 貧しい家族の一員として、家畜小屋の貧しい環境の中で    お生まれに なりました。ただの羊飼いたちが、この出来事の最初の証人です。しかも、この貧しさのうちに、天の栄光が現れました。教会は、この夜の栄光を飽かずに歌い続けます。
「今日、おとめが永遠なるかたを産み、地は 近づきがたいかたに洞穴をささげ、天使と羊飼いは 彼をたたえ、博士たちは 星を仰いで進む。ああ、わたしたちのために お生まれになった、幼子よ、永遠の神よ」。

526 神に対して「幼子のようになること」は、天の国に入る条件です[マタイ18、3?4]。そのためには、へりくだって 幼子となる必要があります。さらにまた、神の子となるには、神によって、「新たに生まれる」(ヨハネ3・7)必要があるの です。降誕の神秘がわたしたちのうちに 成就するのは、キリストがわたしたちのうちに形づくられるとき でも降誕は、この「驚嘆すべき交換」の神秘です。「ああ、驚嘆すべき交換よ!人類の 創造主は 生きた肉体をとっておとめから 生まれ、男を介せずに人となり、わたしたちにその神性を贈られた。」

典礼的にも、個人的にも、共同体的にも 待降節や降誕節を実行に移すことができます。例えば、良い黙想会をして、それに、糾明して、告解する こと;慈善音楽会の中に 貧しいフィリピンの国に 献金を捧げること;   あなたがたの新年の抱負の中に、時間と努力を惜しまずに、一致し、福音と愛に基づいていけるように、ということを加えると 幸いでしょう。良い待降節を!
ペドロトマゼリ神父、ミラノ会