わたしたちが 愛するのは、 神がまずわたしたちを愛してくださったからです ヨハネ4: 19

 6月は、イエスのみ心に捧げられています。伊勢崎カトリック教会の守護者は イエスのみ心なので、歓喜が満ちあふれた心で この祭日を祝いましょう。イエスのみ心を深くすることが出来るように前教皇ベネディクト16世は、「イエスのみ心」の大祝日の2009年6月19日に、バチカンで とり行われた第二晩課の集いの中での開始をこのように宣言されました。いくつかの部分は省略されています。ベネディクト16世の 豊かな記事を読むにあたり 二つの報告をお知らせしましょう。新しい信者名簿に 今まで 121人だけ記入しました。ご協力ください。そして、私は 7月と8月休暇を取ります。お互いに祈り支えましょう。
********************************
「親愛なる兄弟姉妹の皆さん

 しばらくしたら「聖母賛歌]の中で「主は 私たちをその心の中に受け入れました]と歌うでしょう。旧約聖書の中では、26回、神の心について語られています。心は 神の意志の器官として考えられています。人は神の心によって 裁かれます。人間の罪のため、その心の痛みのゆえに、神は大 洪水を起こします。しかし、人間の弱さに 心を動かされ、赦します。

 神の心というテーマが はっきりと現れている旧約聖書の箇所があります。 それは「ホセアの書」の11章に見られます。そこでは 最初の数節で イスラエルの歴史の初めに イスラエルに向けられた神の愛が語られています。「まだ 幼かったイスラエルをわたしは愛した。エジプトから彼を呼び出し、わが子とした」(ホセア11:1)。事実、イスラエルは神の疲れを知らないその愛に、無関心どころか、恩知らずな態度で応えるのでした。「わたしが彼らを呼び出したのに、彼らはわたしから去っていった」(同. 2)。しかし、神はイスラエルを敵の手には渡しませんでした。なぜなら、全宇宙の創造主は、「激しく心を動かされ、憐れみに胸を焼かれ」ているからです。 (同. 8)

 神の心は 憐れみで震えています。今日のイエスのみ心の大祝日にあたり、 教会は この神秘、すなわち、感動し、さらにすべての愛を人類の上に惜しみなく注がれる神のみ心の神秘を、深く観想するよう招きます。それは新約聖書の中で、人類のための神の計り知れない愛として啓示される、神秘的な愛です。神は 自らが選ばれた民の恩知らずな態度にも、さらにその 拒否にも少しも動じません。破壊された愛の宿命を自分自身の身に負い、 悪と死の権力を打ち砕き、罪によって奴隷の身分に落とされた人類に子としての尊厳を取り戻すために、かえって 無限の憐れみからその一人子を世に送られました。このすべてのために 神は 高い代価を払わなければ なりませんでした。天の御父の一人子は 十字架上で犠牲とされたのです。

 キリストは「世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれました」 (ヨハネ 13:1)。死をも はるかに凌駕するこれほどの愛のシンボルは、 槍によって貫かれたそのわき腹です。これに関して、目撃者であった使徒聖ヨハネは 次のように言っています。「兵士の一人が槍でイエスのわき腹を刺した。すると、すぐに血と水とが流れ出た」 (ヨハネ 19,34)。... 愛は  私たちを救い、すでに神の永遠性の中に生きる者としてくれます。福音史家聖ヨハネは 書いています。「神はその一人子をお与えになったほどに、世を愛された。それは、御子を信じる者が一人も滅びることなく、永遠の命を得るためである」 (ヨハネ3:16)。

 神の心が 私たちの心に呼びかけます。そして、私たち自身の殻から抜け出し、何も残すことなく私たちすべてを愛のいけにえとするまでキリストの模範に従い、神の中に 全幅の信頼を置くために 私たちの人間的な思惑を捨て去るようにと招いています...親愛なる司祭の皆さん、私たちのためにも回心への呼びかけや神の憐れみへの懇願は必要です。同様に、救われるべき人々を恐ろしい滅びの罠から 守ってくださるよう、謙遜に熱心に イエスのみ心に祈り求めましょう...」

 皆さん、あなたがたが 神との経験をしたことがあると思います。私達は 神様に愛されていると実感しますので、他の人を愛するこどが出来ます。  イエスのみ心の慈しみに支えられ、お互いを 一人一人に 大切にしましょう。  イエスのみ心に、守護聖人の祝日おめでとうございます。
ペドロ神父 2014年5月25日 復活節